世田谷通りとともに

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今はきれいなバス通りとなった次太夫堀は狛江の駅前を通り過ぎ、小田急の高架をくぐり、Dscf0805世田谷通りへと向かいます。途中、狛江の駅前を過ぎたあたりの歩道の植え込みのなか に案内板とともに駄倉橋の親柱が残っています。案内板によると、煉瓦造りのアーチが美しい橋だったみたいです。品川・羽田と府中・青梅をつなぐ筏道の橋ですので交通量は多かったのでしょう。堀は、昭和40年に埋め立てられたということですが、イラストを見てもわかるように、かなり深かったようです。

Dscf0807 小田急の高架にさしかかる手前で、左手から緑道が合流してきます。これが、昔の野川の川筋の跡です。遡っていくと、住宅街のなかをくねくねと緑道が続いて、神代団地のところで今の野川に突き当たります。次太夫堀は、このように昔の野川や仙川などの自然河川の水を集めながら天領である六郷に向かって流れていたのです。

Dscf0812 小田急を抜けてしばらく行くと、世田谷通りの「新一の橋」交差点に突き当たります。ここからしばらくは世田谷通りに沿って流れていました。南側の歩道が北側に比べて少々幅が広いのがわかるでしょうか。少し渋谷寄りにいくと「一の橋」、「ニの橋」と続きます。 

Dscf0810 この交差点の脇には文政六年(1823年)に建てられた石橋供養塔があります。「東六郷江戸道・西登戸府中道・南家村道・北ほりの内高井戸道」と刻まれています。府中道は、品川道、六郷道、とも呼ばれた道です。奥多摩の材木で筏を組んで多摩川を下り品川に運んだ筏師たちが戻るときにつかった道で、「筏道」と呼ばれています。現在、調布の京王線の南に品川通りがありますが、国領の多摩川住宅入り口の交差点のところから旧Dscf0814品川道(筏道)が狛江に向かって延びていて、先ほどの駄倉橋で次太夫堀を越え、狛江三叉路で世田谷通りにぶつかり、一の橋のところから次太夫堀と寄り添ったり離れたりしながら六郷・品川へと続いています。

Dscf0818 狛江市から世田谷区に入る手前で次太夫堀は右手に分かれます。現在は瀧下橋緑道となっています。この緑道は野川までほんの数百mの短いものですが、風情があります。世田谷通りに別れを告げて、緑道に入りましょう。

一の橋

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取水口

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次太夫堀のスタートは、狛江市元和泉の多摩川です。
Dscf0791 小田急の和泉多摩川駅から多摩川の堤防の上を上流に向かって1Kmほど行くと西河原公園のはずれにモニュメントが立っています。このあたりが次太夫堀の取水口跡です。昔の様子を伝える案内プレートもありますので、1610年の完成当時の姿を想像してください。

Dscf0793_1 公園を回り込むと、水神社が祭られています。ここは元々は狛江の伊豆美神社のあったところで、多摩川の洪水のため現在地に引っ越した後に水神社を祭ったそうです。その後に小泉次太夫の偉業を称え、次太夫も合祀されています。

Dscf0796 この神社の鳥居の前に石のベンチがありますが、よ~く見てください。実は、この石材、取水口の石組みだったそうです。確かに制水板をはめ込む溝がありますよね。

Dscf0802 この水神社の脇のバス通りが次太夫堀のあとになります。ちょっとイメージが湧かないと思いますが、相当大きな用水だったようです。平均して幅・深さともに4.5~5mもあったということですから、2車線道路の幅で大人の背丈の2倍以上の深さがあったことになります。

Dscf0799 バス通りを500mほど狛江駅方面に行った右手に古民家が移築された「むいから民家園」があります。昔の暮らしを偲ぶいろいろなイベントが開催されていますが、ぜひ見ていただきたいのが、ここの土間にある資料です。地元の古老の方から聞き書きした次太夫堀の様子がイラストや解説文によって紹介されています。

Dscf0797 ちなみに、この民家園のあるところの交差点は「田中橋」。今は橋などどこにもなく、初めての人は不思議に思うかもしれませんが、紛れも無く次太夫堀に架かっていた橋の名前です。その証拠に、「田中橋」の親柱が交差点脇の社に保存されています。この先にも「駄倉橋」や「一の橋」「ニの橋」という地名・交差点がありますが、どれも次太夫堀に架かっていた橋にちなみます。

水神社

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